般若心経に色即是空という教えがあります。色とはこの世に存在する人間や他の動物、木や草花、石、金属など全ての物質のことです。それらは固定的な存在に見えますが、実体がなく、空であるという意味です。
例えば机は机の形をなしていれば机として機能しますが、足がなければただの木です。そして木を分析すると木は水やたんぱく質で出来ています。さらに水やたんぱく質は分子から成り立ち、さらに分析すると素粒子といってひとつの個体として決まった位置に存在しているのではなく、存在する傾向がある、流動的な存在であるそうです。ですから物質は実体として存在しているのでなく、関係的に存在しているといえます。素粒子には自我がないので穢れていることも、きれいなこともなく、善も悪もありません。これが色即是空という意味であり、縁起(縁によっておこる)ともいいます。
私達が知覚見聞する全ては固定的実体としてあるのではなく、その時その時の関わり合いの表れとして流動的に存在しているにすぎないのです。ですから色即是空とは固定的な存在にみえる全てのものは、常に変わり続け関係的に存在しているにすぎないという意味です。お釈迦様は、この世のすべての物は全て変化の過程にある。変わり続けることが宇宙の真理であると説かれました。当然私達の体や心や考え方も変わり続ける存在です。ところが私達は、生まれた時に自分が生まれたと認識して生まれてきたわけではないのに、いつの間にか物心がついて、この身を自分の所有物であり、かつ固定的な存在と思い込んでいるので、この身に不都合なことが起きるとその不都合なことに執着し、怒りや悩みを増幅させてしまいます。しかし、この不都合な現象も固定的実体としてあるのではなく、流動的に存在しているのでいつかは消え去るものです。財産や名声なども全て流動的であります。
悩みというものは自分という固定的な自我があると勘違いして、自我の欲望を満たそうと思い、満たされないと悩むわけです。すべての存在は縁によって流動的に存在しているにすぎないということを空といい、それを実感するのが坐禅です。坐禅とは現実と思いの世界を分離し、自分を見つめなおすとともに、空である事実を体得する行為です。日常自宅でも時間を作って坐禅をしていただきたく思います。また寺の本堂でもご希望があれば坐禅をできますのでお気軽に声をかけてください。