坐禅とは、元来無我であった事実に気付くための実践修行です。それを実感するには、悩み苦しみは心の働きであり、心とはつかむことのできないその時々の様子だと自覚することです。私たちは無意識のうちに、朝起きてから夜就寝するまで、常に頭を働かせ考え事をしています。考えることは心の作用ですが、考えることが、喜怒哀楽の原因となります。ですから考える以前の状態(喜怒哀楽の起こる以前)を体感するのが坐禅修行です。考える以前の状態とは、ただ聞こえる、ただ見える、ただ感じるという事実であり、そこに徹することによって、喜怒哀楽は考えによって起きていることに気付くことです。ですが、私たちは考えるという体に染みついた習慣から抜け出せないために、坐禅では苦労する人が多いのではないかと思います。
考える以前の事実を手早く体験できるのが苦行だと思います。例えば、滝行は水圧と冷たい水に打たれ、考える暇がないほど水圧の痛みや寒さを全身で感じます。滝行が終わった後に、心がすっきりしたと感じる人が多いのは、考えが自然に止んで事実だけになっていたからだと思います。ですが、滝行や苦行は手軽にできることではないので、思い立ったらすぐに実践できる坐禅をお勧めします。