西琳寺は、今から約700年前、鎌倉時代の中期に真言宗の寺院として開山された後、浄土宗時代を経て、江戸時代初期の1618年、現在の千葉県いすみ市万木の海雄寺の4世嶽應義賢大和尚により、海雄寺を本寺とする曹洞宗の寺院となりました。
江戸時代後期の1860年ころ、本堂が災害で倒壊し、使える廃材を組み直して再建されましたので、300年以上前の姿を今に留めています。その後西琳寺は無住となり、何代も住職が定住しなかった時期が続きましたが、先々代住職が定住し先代住職が境内地を整備して、陽当りのよい寺になりました。
西琳寺の山号は「興陽山」です。第28代(先代)住職の玄龍祖道和尚が名づけました。その意味は、陽当たりのよい寺を復興し、衆生に光を照らす、ということです。度重なる災害や長期の無住により、荒れかけた西琳寺を復興した先々代住職にならい、これから先も人々の希望となり、陽の光となる明るい寺にしてゆきたい、という願いが込められています。
西琳寺が立地するのは山に囲まれた、これより先に道路もない秘境ですが、衆生が自己を拠りどころとし(自灯明)、仏法を拠りどころとして(法灯明)、行き止まりのない道を行く助けとなれば幸いです。
毎年5月下旬から6月、西琳寺の境内から下流の春日神社までの間の清水川沿いに、源氏ホタルの群生が見られます。気象条件によって異なりますが、多い年では一面カーテンのように蛍が乱舞します。
西琳寺のご本尊様は、浄土宗寺院の時代の名残りの阿弥陀如来(中央)と、釈迦牟尼如来(左右)の双尊です。
大正5年の古い地図では、西琳寺は「さいりんじ」ではなく、「セーロジ」と記載されていたことがわかります。地元でも、古くからお住まいの方は「セーロジ」さんと呼びます。理由は不明。